ラデュ・ミヘイレアニュはルーマニア人の映画監督、脚本家、プロデューサー。1958年にブカレストで生まれ、ユダヤ系の家族の中で育った。20代前後にチャウシェスク独裁政権下のルーマニアから亡命し、パリの高等映画学院 IDHECに通う。1980年に自作短編映画『四季Les quatre saisons  が認められ、イタリアの監督マルコ・フェレーリのアシスタントとなる。1998年2作目の映画『Train de vie』において、イタリア映画アカデミー(ダヴィッド・ディ・ドナテッロ)で外国映画賞を獲得し、世界的な監督として注目を集める。

彼の映画は、 様々な国の政治問題や歴史的背景などにスポットを当てたものが多い。ユーモアを沢山盛り込み、滑稽ながらも観客を深く考えさせるような内容が特徴だ 。『約束の旅路 Va, Vis Et Deviens』はベルリン映画祭等で数々の賞を受賞。『オーケストラ!Le Concert』や『女たちの泉 La Source des femmes』はカンヌ映画祭に出品された。

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ワカペディアの見るラデュ・ミヘイレアニュ

ルーマニア出身のRadu Mihaeliuラデュ・ミヘイレアニュ監督(通称ラデュさん)を最初に知ったのは、テレビだった。ソファーの上でゴロゴロしながら漫画を読んでいた私は、大好きなチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲 が流れて、一瞬でテレビに目を奪われた。それが映画『オーケストラ!Le Concert』の予告編だった。「この映画、面白そう! 」そう思った私は、早速観に行くことにした。

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ダリアの目

「オーケストラ!なかなか面白い映画じゃない!!」その数年後、サラワカがパオロソッレンティーノの映画『ザ・グレートビューティー』に数秒間出演したことがきっかけで、ラデュ監督と知り合う事ができた。インタビューに快く応じてくれただけではなく、パリに住み始めて心細くなっていたサラワカの相談相手にもなってくれた。大学院で友達もできず、授業にもついていけない。今後の目標がなかなか見い出せないと悩んでいた時、彼は「君を見ていると自分の若い頃を思い出すよ。」と言って、沢山のアドバイスをしてくれた・・・(いつまでもついて行きます!師匠!!)全然関係ないけれど、話してる時の彼の目がたまにアメリカのアニメ、ダリアみたいになるのが、私にとってツボだったりする。

サラワカ:CIAO! ミ・・・ミヘ・・・ミハ・・・ミハリュ・・・なんて読むの?

ラデュ:ルーマニア語では、ミヘイレアニュだよ。

サラワカ:そうか!映画監督をしているんだよね?

ラデュ:監督でもあり、脚本家、プロデューサーでもあるよ。でも詩を書いたり、哲学も研究したり、後はイタロジャポネーゼ(イタリア系日本人)の精神科医にもなったりするよ。(笑)

サラワカ:あははは~!本当にそうだよね!!色々なプライベートの相談 にものってくれるし・・・・すごい良い監督さんだね! ラデュさんも私の歳ぐらいの時にパリに移ったんだっけ?だから今、パリに住み始めた私のつらさがわかるのね(笑)

ラデュ:そうそう。僕は22歳の時にパリに住み始めたんだ。家族から離れて、お金もなく貧乏な学生生活をここで過ごしたさ。親から援助してもらえなかったんだよ。なんせその頃、ルーマニアは独裁政権下だったからね。ドルもフランも送金できない時代だったんだ。だが、運良くフランスから奨学金が約1000フラン(現在約200ユーロ)貰えて、そのお金の半分で両親と当時いた彼女に電話したもんさ。後は食事代と家賃を払って、すっからかん状態だな(笑)。そんな状態の中でも僕は幸せだったよ。自由を手にし、フランスに来れたんだ。フランスの学校で色々な事を学べたし、映画を製作することもできた。当時ルーマニアでは出来ない事ばかりさ。パリに来た初めの年間はとても大変だった。フランス人は僕と考え方も違うから友達もいなくて、独ぼっちだったしね。よく落ち込んでたよ、誰かさんみたいにね(笑)

サラワカ:えへへ(苦笑)

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Radu Mihaileanu at 2011 Cannes Film Festival with his movie “The source”

ラデュ:でも、僕は諦めなかった。孤独を忘れるために、よく夜のパリの街を散歩したものだよ。歩くたびにこの街の素晴らしさを感じたし、色々な道や場所を覚え始めたんだ 。フランス語も頑張って毎日ラジオを聞きながら文章を写したり、色々な本を読んで文法など覚えていったよ。今でもよく覚えてるな・・・あの頃の僕はフランス人にとって、反抗的な激しい若者に見えていたと思う。でもある人達は僕のそんな無謀さと自由に憧れていたんじゃないかな?他人とはちょっと違う人間だっていうことに気がついて、その違いを武器にしてきたんだ。今でも自分の映画で、「その違い」を表現することが多い。だから他の人とは違う作品が作れるんだよ。ルーマニアにはもう何十年も住んでいないけれど、僕はフランス人でもないんだ。そんな誰とも違う自分を、今となっては誇りに思うよ。

COVER

Una delle cover artistiche per iPhones firmato “Les Clichés d’Alphones

[その時だった。ラデューさんの携帯が鳴り、インタビューは一時中断した。彼が携帯を耳に近づけた時、とてもアーティスティックなiPhoneカバーに目が留まった。電話が終わった後にサラワカが、そのiPhoneカバーは何処で見つけたの?と聞くと、これは息子が立てた会社Les Clichies d’Alphonseのものだと説明してくれた。なんでも、自分が好きなアート作品をiPhoneカバーにすることで、いつでも持ち運べるアートということらしい。なるほど!やっぱり芸術家の息子は芸術が好きなんだ!と関心したサラワカ]

サラワカ:なんか考えさせられるな・・・ラデュさん。前に話してくれた、初めて成功したお金で靴を買ったっていうお話、もう一回話してもらってもいいかな?

ラデュ:いいとも。まず初めに言いたい事はだね、高校時代は誰にも評価されたことがなかったんだ。成績だっていつも最後から数えた方が早かったんだよ(笑)

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Radu at the Montreal Film Festival in 1993

君が聞きたがっている靴のエピソードは、僕が最初の映画『Trahir』を作った時だったな。この映画がモントリオール世界映画祭(Festival des Films du Monde – Montréal)の候補作品に選ばれた時で、当時モントリオール映画祭はカンヌ、 ベルリン、ヴェネツィアと並んで同じくらい大きい映画祭だった。僕は少ないお金でカナダへ旅立った。初日だったかな?僕はカンヌ映画祭で優勝し、当時最も注目を浴びていたドイツ人の監督フォルカー・シュレンドルフと同じエレベーターに偶然乗り合わせたんだ

僕は彼の映画のモンタージュ・アシスタントをした事もあった。なのに今は、先生でもあった監督の映画と自分の映画が、同じコンペティションに出ているという事がとっても不思議で、恐れ多い感じがした 。すごい人達ばかりが集まっていたにもかかわらず、有難いことに僕は作品賞、主演男優賞など、ほとんどの賞を取ってしまった。

モントリオール映画祭は、新人監督のスカウト場所でもあったんだ。賞の発表された次の日だったかな、着いた日からとても気になっていた300フラン(60ユーロ)の靴があったんだ。僕には当時高すぎる靴だったんだけれど、更に躍進することを自分自身に誓って、それを自分へのプレゼントとして買ったんだよ。

サラワカ:ん〜・・・何度聞いても良いストーリーだね。ねえねえ!私がすごく気になったラデュさんの映画『オーケストラ!Le Concert 』の話をしようよ!私はイタリアで見たんだけど、日本ではすごく流行ったんだよね?

INGLORIOUS

The Concert actress Melanie Laurent previously playing in Tarantino’s “Inglorious Bastards”

ラデュ:そうだね。日本では100万人の観客を動員したよ。DVDもよく売れたけど、映画のサウンドトラックも好評だった。しかも女優メラニー・ロランMélanie Laurent)の素晴らしい演技で、さらに『オーケストラ!』は注目を浴びたんだ。彼女はすでに当時タランティーノの映画『ングロリアス・バスターズInglourious Basterds)』でかなり有名になっていたしね。この映画がこんなにも日本で好評だった理由は、きっと日本人の多くがクラシック好きという事と、ユーモラスな映画が好きということ。その両方が入り混じった映画だったからだと思うよ。あとは、この映画を通してクラシック音楽の良さやチャイコフスキーの良さを改めて見直したんじゃないかな。

サラワカ:ラデュさん色々な話をしてくれて今日はありがとう!最後にキスしてちょーだい!

ラデュ:Bien Sur!(もちろんさ!)

サラワカのほっぺたには、さっき監督が食べていたチョコアイスのひんやり感が残った。

WAKA ET RADU

Radu and I (holding his son’s iPhone cover!) in a Parisian restaurant

Description & Interview: Sara Waka

Edited by:Yuliette